宝冠寺の修験道古文書調査を終えて

お堂内 本尊准胝観音と不動明王、毘沙門天

 先週4月11日の愛媛新聞に「修験道古文書377点確認」という記事を掲載していただきました。この宝冠寺ほうかんじの古文書調査を行うこととなったのは御当主の先祖供養の思いとそれに協力しようという地元の研究会から伊予高校教諭の柚山先生にお話があったからでした。

宝冠寺のお堂へ調査に入るところ

宝冠寺のお堂へ調査に入るところ

 宇和島市三間町に毛利家史料調査会というグループがあり、毎月研究会を開いて是房村庄屋であった毛利家の文書や吉田藩関係文書の解読会を開催しています。この研究会で雨乞い記録を読んだことがきっかけとなり、調査会の会員の方が宝冠寺の文書にも雨乞い記録があると解読会に持って来られたそうです。その後、柚山先生がこのお宅を訪問し、修験道に関する文書や小堂を確認しました。そこでこの古文書調査を行う運びとなり、県歴史博物館の大本氏を通じて県内の数少ない修験研究者の私竹島に声を掛けていただきました。

 

お堂内 本尊准胝観音と不動明王、毘沙門天

お堂内 本尊准胝観音と不動明王、毘沙門天

 昨年11月19日、史料調査会の方々と共に柚山先生、大本氏、竹島というメンバーでこのお宅へ調査に伺いました。大事に残されてきた大量の文書類、お堂の中の本尊准胝観音じゅんていかんのんなどの仏像群、裏山の旧境内地と歴代の墓石群と、江戸時代以来の宝冠寺という修験寺院の様子がしっかり掴めるのではないかと思える保存状態にまず驚きました。

 

 

 

調査前の文書類、幾分か整理されていました

調査前の文書類、幾分か整理されていました

 調査を進めるなかで宝冠寺は吉田藩の当山派とうざんは修験を統括する袈裟頭を務めていたこともわかり、宝冠寺の歴史だけでなく吉田藩領内や南予鬼北地域の修験文化が幾分か明らかになるのではないかと期待できそうです。吉田藩領内の修験組織を考える上で旧三間町内でも山間部に近い位置にあたる修験寺院が領内の修験を統括していたことは興味深いところです。因みに松山藩において当山派袈裟頭を務めていたのは城下町の修験寺院でした。

ミニ四国霊場の遊歩道と修行に使われたであろう滝

ミニ四国霊場の遊歩道と修行に使われたであろう滝

 

 

 そして取材を受けた3月26日、かつて行者さんが住んで修行を行っていた地区内のミニ四国霊場を案内していただきました。行者屋敷跡や修行していたという滝、多くの岩場などがあり、宝冠寺や配下の山伏たちが修行を行う行場として使用してきたことが想像できる場所でした。

 伊予史談会例会での報告予定は6月11日。より一層史料の分析考察を行い南予地域の修験道文化の一端を皆さんにお伝えしたいと思います。

 

地方文化研究所 竹島大祐

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